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2008'08.31 (Sun)

黒田清輝展

本日最終日の黒田清輝展@小磯記念美術館へ行ってきた。
行くつもりでいたのに結局最終日…ってこのコメントも聞き飽きたよね。
黒田のことは特別に好きってわけじゃないんだけど、作品に対する思い入れはなくても人としては嫌いじゃない。といっても人柄なんてろくに知らないんだけどね。
解説読んだりした受け売りなんだけど、「構想画」を制作したいと思いつつ、結局それはかなわなかったそうで、それを目指したであろう作品が幾つかあるんだけど、そういうの見てるよりも、スケッチ感覚で描いた小品とかの方が親しみが持てて好きなんだよなー。本当のところはどう感じていたのかわからないけど、頭では難しいことをやりたいと思いつつ、どこかでそういうささやかな作品作りを楽しんでたところがあったんじゃないだろうかと思ったり。
今回の展覧会は東京の黒田記念館(東京国立博物館)から小物も含めて約150点来てた。これだけまとめて黒田の作品を見るのは初めてだ。
代表作の「湖畔」や「知・感・情」はきてたけど、「野辺」がなかったのが残念だ。前に見たことあるからいいけど。他に印象に残ったのは、「花野」と「雲」かな。修行中の人物デッサンとかの習作を見るとたしかにうまいなあと思うんだけど、なんでだろ、あんまり人物画は好みじゃないなあ。風景画がいいな。人物画でも人物の内面とか表情よりも空気とか光とかそういうものの表現がおもしろいかも(解説の受け売り)。
説明パネルに黒田のモラル感覚は女性と子供に関してはフランス的だったというのがあって、どういう意味なんだ?と突っ込みたかった。
展示室内で誰かが藤島武二は黒田の弟子で、藤島の弟子が小磯で…っていう関係なんでしょ?みたいなことをしゃべってるのが聞こえてきて、心の中で違う違うっ!と叫んでました。黒田と武二は同世代なんだよ~。肩書きこそ黒田の方が上で、武二が黒田の影響を受けた部分もあるけど、師弟関係なんかじゃないってば。と武二ファンの人が言ってます。
同時開催で小磯良平の作品選もあったので見てきた。何度も来てると見慣れちゃうけど、ちょこちょこ入れ替えもあるので、こんな絵もあるのかーと思いつつ軽く流す感じで。最後にあった3人の外国婦人ってのがかわいかったな。
そして、売店で黒田じゃなくて武二の図録を買って帰った。去年ここで武二と小磯展をやってたときに、図録は保留にしてたんだけど、それを今回手に入れたわけだ。

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2008'08.24 (Sun)

サイケでロック

タワレコをうろうろしていて見つけたミュシャもどきジャケット。
B000026I7VMorning Dance
Spyro Gyra
Infinity 1994-05-01

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細かいところを見ていくとそんなにミュシャっぽくないんだけど、なんでだろう、一目見た瞬間にミュシャっぽいと感じた。
もうひとつ、名前を完全に忘れちゃったんだけど、ベック(ジェフ・ベックじゃなくて、最近新譜を出した人)が影響を受けた人として紹介されてたCDもちょっとアールヌーヴォー臭かったな。60年代後半の作品だったと思う。サイケとかその辺のやつ。名前が英語っぽくなかったんだけど、うーん、思い出せない。
*追記*
がんばって記憶を掘り起こした。
私が見たのはこれ。
B000P7V4K8Caetano Veloso
Caetano Veloso
Lilith 2007-06-18

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そうか、ブラジルの人だったのか。
*追記おわり*
最近サイケがはやってるんですかねー。別のコーナーではこんなのも。
B0016453VUPsychedelic Jazz
Various Artists
Verve 2008-05-12

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文字のところがアールヌーヴォーっぽいので目に付いたんだけど、視聴できたので聴いてみたらなんか凄かったです。特にPierre Henryって人の「Psyche Rock」って曲が。笑っちゃうくらいサイケデリック。ちょっと調べてみたら電子音楽、テクノサウンドの世界では古典的な作品なのかな?
他に買いたいCDがあったから買わずに帰ってきたけど、安かったしまた今度行ったときにあったら買ってもいいかもなあ。

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2008'08.11 (Mon)

サロメからの連想は続くよ

黄金のロバについて追っかけるのはとりあえず置いといて。ヴェルレーヌとボードレールからドビュッシーに心は飛んでます。まあ飛ぶだけで実際に行動には移してないんだけど。
最初は「悪の華」と「艶なる宴」のフランス語の単語の意味を調べてた。ネットの日仏翻訳は簡易なのしか見つからなくてニュアンスが掴みにくかったんだけど、英仏辞典に詳しいのがあったのでそっちを引いてみた。「悪の華」はわかりやすくて、The Flowers of Evilって単純に英訳されてるらしいんだけど、「艶なる宴」の方がなかなか難しくて。単語自体はそうでもないんだけど、どうもこの「Fetes Galantes」ってのがヴェルレーヌの詩に特有な言葉ではなく、もっと一般的な言葉らしいということがわかってきて、さらには詩の元になった絵もあるようで。ってことは出てきた結果が何に対してのものなのかわかんないよーと一時は混乱状態に。知りたいのはヴェルレーヌのことなのに。
日本語表記についても「艶なる宴」以外に「艶やかな~」とか「雅やかな~」とか「雅な~」とかずいぶんと表記がばらばらなことがわかってきた。その上さっき判明したようにどれに対する訳語なのかもわかんない。これ以上の追求はネットでは無理かなと思って、ひとまず検索は打ち止め。
そんなことをなんとなく心に留めてたところ、たまたま手持ちの本の中に目ぼしい記述を発見。ちょっと本棚を整理しようと思って手に取った1~2年前のオルセー美術館展の図録。展覧会で直接ヴェルレーヌに関わるような何かはなかったと思うんだけど、解説の中にヴェルレーヌのことが出てきて、詩の元になった絵もモノクロで小さい図版だけど載ってた。
通称「雅宴画(フェート・ギャラント)」というらしい。18世紀のフランス(ロココ時代?)にヴァトー(またはワトー)が確立させたスタイル。森や野原で貴族の男女が優雅に戯れる図。これって実は結構有名なのかしら。
最初に「雅な宴」というような題材の絵があると聞いた時点ではまったくぴんときてなかったんだけど参考図版を見てるうちに記憶が戻ってきた。それに「雅宴画」って言葉も。たしかどこかで聞いたことがある。そうだ、モンティセリだ!ヴァトーに影響を受けたのはヴェルレーヌだけじゃなくて、自分の知ってる人の中にもいたんだ。そこからゴッホにも繋がるんだよね。なんか面白いなー。ヴァトーの時代はロココ様式が流行った時代になるらしい。フランスの歴史はぼんやりとしか知らないけど、ロココって貴族の田園趣味とかそういう時代なんだっけ。
ロココリバイバルがアールヌーヴォーに繋がったというような話をどこかで聞いた気がするけど、モンティセリもロココリバイバルの一翼を担ってたんだろうか。
音楽家ではドビュッシー以外にもフォーレなんてのも詩人にインスピレーションを得ているらしい。ドビュッシーは結構強烈な性格だったみたいで、伝記を本屋でチラッとめくってみただけで面白そうだなあ。サティとの関係も面白そうだ。手元に世紀末の音楽に関する本があるので、まずはそれを読んでみて(だいぶ前に買ったのに全然読んでない)、さらに興味が深まればCDを買うなり伝記を読むなりしてもう少し突っ込んでみようかな。牧神の午後とかディアギレフやニジンスキーにも繋がるみたいだし、なんだかわくわくしてきた。
4276201349世紀末の音楽 (音楽の万華鏡)
海野 弘
音楽之友社 1995-07

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こうやって今までに得た色んな情報が繋がっていく体験って気持ちいい。だからやめられないんだよなー。今はまだ19世紀末を中心に前後1世紀ずつくらいしかカバーしてないけど、できることならもっと過去にもさかのぼりたいんだよね。でも19世紀周辺だけでもボリュームたっぷりなのにこれ以上どうしたらいいんだ。気が散りやすい性格でいろいろオーバーフロー気味なのが困った。
CDショップでドビュッシーの棚を見てみたんだけど、たくさんあるなあ。その中で特にヴェルレーヌなどの詩を由来とする曲を探すもどうやって選別したらいいのかわからず挫折。もうちょっと知識をつけてから再挑戦しよう。詩だけじゃなくて絵画も元にしてるんだろうか。

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2008'08.04 (Mon)

前田寛治のパリ

なんとなく行きやすいからという理由で大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室でやってた「前田寛治のパリ」展を見てきた。またしても最終日。夕方に。最近すっかり出足が遅いです。こんなんじゃ混雑必至な展覧会は行けんな…
今回の展覧会は、予備知識としてはエコールドパリの時代とかぶるらしい(1920年代)というのくらいしかなくて、前田寛治って人のことはほとんど知らずに出かけた。見た感想は、理論派だったのねーというとこかな。
活躍した時代が佐伯祐三とほぼ同時期で、夭逝したのも同じらしい。交流もあったらしいけど作風というか姿勢は正反対よね。
前田寛治以外の同時代の作家の作品も展示されてて、ヴラマンクと里見勝蔵が並んでるのを見てちょっと嬉しかったり。この二人けっこう好きなのよねー。
前田寛治に関してはなんともいえないなあ。特に気に入ったわけでもないけど面白くなかったというわけでもないし。理論って自分が理解できる範囲で展開されてるものはなるほどねーって思えるんだけど、不勉強でよくわからないところを見せられてもついていけないというか。これは自分の問題なんだけど。といっても前田寛治の絵が理論だけで構築されてるかっていうとそうでもないんだろうし、これはおもしろいなとかかわいいなという絵もあった。
次回は大阪の女流画家を集めた展覧会らしい。これは面白そうかなー。
そういえば今度、大阪市立美術館(こっちは仮称とか準備室とかじゃなくて、ちゃんとしたところ)で佐伯祐三展をやるようで。

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2008'08.01 (Fri)

サロメの本棚・追記

前の記事について、推敲不足で書いちゃったせいで後から細かいところを修正しまくってますが(画像を追加)、さらに追求したいことが出てきたので書いておく。
2枚の絵に出てくる合計7つの本のうち、ひとつだけ英語なのは何故なんだろう。そして、それ以外のすべてがフランス文学なのは何故なんでしょうか。
たしかワイルドの「サロメ」って最初はフランス語で発表されたんだよな。その辺が関係あるのかなあ。あれ、ビアズリーの挿絵って英語版が出版されたときだっけ?混乱してきたので調べなおしてみた。
まず、ワイルドは戯曲「サロメ」をフランス語で書く。サラ・ベルナールが上演することになったけど、お上からの検閲やら何やらで舞台はお蔵入りに。上演はされなかったけど出版はされたみたいで、そのフランス語の作品に対してビアズリーがインスピレーションを得てサロメの絵を描く。「サロメ」の英語版を出版することになってビアズリーが挿絵を担当する。って流れでOKでしょうか。
英訳したのはワイルドじゃなくてボジー(アルフレッド・ダグラス)だと聞いたけど、出版に際してワイルドはどの程度口出しできたのだろう。挿絵画家としてビアズリーを推薦したのはワイルドらしいのに出来上がりには不満だったらしい。途中で検閲したりやっぱり別の人に描かせようとかそこまでの権限はなかったんだろうか。
検閲に関してはワイルドが介入できなかったにしても、出版社の方からは口出しされてたみたいだけどね。またはもっと上の方からかもしれないけど、何枚か出版できない絵があったらしいし、本自体がそういう扱いを受けてたとか。
まあそんな薀蓄はさておき、ここで気になったのが、ビアズリーが挿絵を描いたのは英語版に対して。ビアズリーもワイルドもイギリス人。でも挿絵の中の本は主にフランス語。最初に出版されたのはフランス語。ややこしいな。
ともかくですねー、あの本棚のラインナップがすべてビアズリーの意思だったとして、この7つのタイトルが選ばれた理由ってのが気になるんだよな。イギリスにはそれにふさわしい書物がなかったのか。挿絵の中の小さな文字だから特に国に拘る必要はなかったのかな。あくまで暗喩であればいいわけで、気づいた読者がニヤリとしてくれればいいとか。
この時代のフランスとイギリスの文化的な交流ってどうなってたんだろう。ここに出てきたタイトルは英訳されてたんだろうか。フランス語で書かれたタイトルを見てわかる人は多かったんだろうか。少なくとも知識人はそうだったのかもなあ。この時代にイギリスとフランスを行き来してる人は結構いたみたいだし。ワイルドもそうだし。フランスとイギリスって海を隔てているとはいえ距離的には結構近い。でも関係は複雑よね。
デカダンスとかダンディズムとかがワイルドやビアズリーの属する世界なんだと思うけど(それがすべてではないかもしれないけど、ある一面を切り取ったときにはそうでしょう)、そこで思い浮かぶ文学作品ってのがやっぱりフランスに多いってことなのかなあ。ビアズリーがワイルドの「サロメ」をフランス語で読んでいたってことはつまりフランス語に精通していたわけだし、フランス文学にも造詣が深かったのかも。
イギリスはヴィクトリアンだっけ?表向きは品行方正で紳士淑女らしい振る舞いがよしとされてた時代だと思うんだけど、それに対する反動がワイルドとかビアズリーなのかなあ。というようなことをどこかで読んだような気がする。フランスはベルエポック、アールヌーヴォー、フレンチカンカン(どんな連想だ)ってことで、もっと自由な雰囲気。建前はあったかもしれないけどそこまで厳格なイメージはないな。あくまで私の勝手な想像だけど。
なんかあんまり結論めいたものに達してない気がするけど、きっとビアズリーにとってのサロメのイメージとフランス文学の特にデカダンとかスキャンダラスな作品ってのが通じるものがあったのかなあと。イギリスは文化的にそういうものがあんまり表立ってあらわれなかったからフランスばっかりになったってことだろうか。
そしてやっぱり気になるのがひとつだけ浮いてる感じがする「黄金のロバ」。これ、展覧会で実物を見たときにも、なんでこれだけ英語なんだろう…と不思議に思ったんだけど。いざ調べてみるとさらに時代まで全然違ってて、あえてここに並べた理由ってなんなんだろうなあと気になってしまう。きっと世の中にはビアズリーとかワイルドの研究者は山ほどいそうだから調べてる人はいそうなんだけど。この古い物語が19世紀末に話題になるようなことがあったんだろうか。
19世紀末との繋がりまではまだ追いきれてないけど、ローマ時代やギリシャにも世紀末的退廃はあったようで、そういった傾向の中にこの物語も含まれるのかな?と思ったけど、どうなんでしょう。とりあえず際どい描写があるって部分が肝なのかなあというところくらいしか今のところはわからない。ビアズリーの時代にもそういう点で有名だったんだろうか。
他に調べててわかったことは、この作品に「アモルとプシュケ」のエピソードが含まれてるってことで、それなら確かに19世紀にも好まれてたモチーフと考えられるかなあと思えるけど、もしかしてそいういうこと?
他の同時代の作品を差し置いて、これが選ばれた納得できる理由が欲しい!

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