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2005'11.03 (Thu)

オスカー・レヴァントとアール・デコ展

オスカー・レヴァントに興味がわいてあれこれ調べて思ったことなどをつらつらと。

*アール・デコ展のことは最後の方に書いてますので、レヴァントなんかどうでもいいという人は最初の方はすっとばしてください。

ネット上でレヴァントについて語ってる日本語ページって意外と少ないです。探し方が悪いのかもしれないけど。日本語の資料としては、もしかしてガーシュインの伝記本が一番参考になったりして。
とりあえず簡単なバイオグラフィなどをご紹介。
1907年ピッツバーグ生まれ、幼い頃からピアノの才能を発揮し、シェーンベルクに師事。クラシック音楽を作曲したり、ピアニストとして演奏活動したり、映画音楽に携わったり。10代前半の頃にガーシュインの音楽に触れて憧れを抱き、1920年代の後半にガーシュインと知り合うことに成功し友好関係を築きます。ガーシュインの死後(1937~)はガーシュインの伝道師みたいな感じで演奏活動をしていたとか。あとは役者として映画に出演したりTV番組のホストを務めたり。有名人の集うサークルみたいなのに入ってたりして、ハリウッドでは今で言うセレブみたいな位置付けだったみたい。辛口トークが人気で、彼に辛らつな言葉を浴びせられるのが一種のステータスになってたとか。1950年代半ばあたりから精神的な病やら薬物中毒やらで苦しんで、1960年以降はたまにTVやラジオにゲスト出演したり自伝を出版したりしていましたが、1972年、65歳で心臓発作で亡くなったとのこと。晩年はスポットライトを浴びることもなく寂しく終わったようです。
ちなみに彼のTV番組では何をやっていたかというと、ピアノを弾いたり、彼の交友関係の広さを利用して各界のスターをゲストに呼んで話を聞いたりしていたみたいですね。特筆すべきはかのフレッド・アステアがTVに初めて出たのがこのショーだったとか。これって凄くない?
さて、ガーシュインの伝記にもあったんですが、レヴァントはプレッシャーに弱く人前で弾くのは苦手だったようです。あとは英文資料を斜め読みしただけなので正確ではないかもしれないけど、1950年代(1953?)に心臓発作をきっかけに中毒性のある鎮痛剤(Demerol)にハマってしまったようです。この薬がどうもかなりやばいものみたいで、一応薬として医者が処方したりするみたいだけど、使い方を間違えると精神的におかしくなってしまうとか。これも英文なのではっきりとは読み取れなかったんですが、それ以前から精神的な弱さのせいで薬物に手を染めてたのかもしれないです。で、その状態でDemerolを処方されてドツボにはまったのかも。そういう人が使うとより中毒になりやすいそうなので。あの辺の時代って薬物にはかなり無頓着だったようなイメージがあります。医者も平気で麻薬を処方することがあったみたいだし。かのジュディ・ガーランドも撮影所の人がどんどん仕事をさせるために興奮剤みたいなのを注射させてたとかって話だし。彼女も結局薬物中毒で亡くなってしまうわけですが、それって本人のせいじゃないよなあと思うと何ともいえない気分に。レヴァントの場合がどうだったのかはよくわかりません。
ある資料には心気症だったともありました。心気症って何?と思ったら、自分は病気なんじゃないかと信じて疑わない病気だそうで。いくら病院へ行っても健康と診断されて、それでも疑って病院をはしごする、一種の精神的な病ですかね。これがいつ頃の話なのかは書いてなくて、晩年の話だったら薬のせいだったりするのかなあと思うんだけど。もしかすると病気ではなくて単に気にしすぎな性格を指している表現だったのかも。
色々ありますが、1930~40年代はかなり精力的に音楽活動をしていたようで、有名な指揮者の下でピアノを弾いたりもしてます。オーマンディとかトスカニーニとかグールドとか。コープランドも評価してたみたいだし、シェーンベルクの下で学んだりもしてたし、音楽家としての腕は確かだったんだと思います。レコーディングもしていたので、今でも彼の演奏を聴こうと思えば聴けます。主にガーシュインの楽曲ですが、探せばそれ以外の曲もあるかも。でも一番手っ取り早いのは彼が出演した映画を見ることかなあ。音と映像は別撮りかもしれないけど、音は本人のものだし、姿もちゃんと弾いているところを撮影してるっぽいし、それなりに臨場感があって楽しめるかと。
1990年代に入って、彼の伝記本が出版されています。この表紙の写真がなんだかかっこいいんですけど。彼はヘビースモーカーだったみたいですね。
あと、彼は多くの名言を残しているみたいで、名言集みたいなページに彼の発言が載ってるのをちょこちょこ見ます。
色んな資料を読んでいて、何に惹き付けられるんだろうなあと考えていたんだけど、ふと思い付いたことが。この人も「喝采」とか「オール・ザット・ジャズ」の主人公みたいな弱い人だったんじゃないかなと。
彼はユダヤ教の厳格な父親の元に生まれていて、父親は音楽をやることに反対だったそうです。母親は逆に熱心だったみたいで、父親が亡くなると音楽教育をさらに深めるためにピッツバーグからニューヨークへ送られます。そのときまだレヴァントは16歳。英才教育って確かにいい部分もあるけれど、彼が精神的に弱かったのってこういう生い立ちにも関係があるんじゃないかなあ。
口が悪かったのも弱さの裏返し?とか思っちゃったり。かなりひいき目な見方かもしれないけど、本当にただの性格の悪いやつだったら、いくら才能があっても広い交友関係を築けないんじゃないかと思うし。奥さんも最後まで添い遂げたみたいだし、なにかしら魅力のある人格だったんだと思いたいな。

で、これがどうアール・デコ展と繋がるかっていうと、事の始まりは海野弘氏でした。
ミュシャが好きなことから19世紀末というキーワードに敏感になっていて、その手の書物にも自然と目が行きます。すると、海野弘氏の名前をよく見かけることに気づきまして、そんな人の講演会がアール・デコ展で開催されると知って、聞いてみたいなあと思ったのが発端。その講演を聞いて、アール・デコの時代がガーシュインの時代と同じだと気付き、もともと好きだったガーシュインのことを再確認しようと映画やCDや本を見直していたらレヴァントに惹かれた、というのが大まかな流れです。
海野氏の扱う時代は19世紀末だけでなく、1920年代について書いた本も多く出していて、例えば「ジャズ・エイジの街角」とか「ジャズ・スタンダード100(共著)」という著書があります。(世間一般では1920年代のことを「ジャズ・エイジ」と呼ぶらしいです)
私はミュシャに本格的にはまる前からガーシュインにはまってました。だからレヴァントのことも以前から知ってはいたけれど、特別意識することはなかった。なんで今回に限ってこんなに気になってしまったのかは謎。
そうそう、ついでだから以前の記事で名前を出したノエル・カワードのことも書いておこう。アール・デコ展の講演会で海野氏がアール・デコという時代を表す言葉として、コール・ポーターの曲の中に「カクテルと笑いの時代」というフレーズがあると紹介していたんですね。ポーターはガーシュインと同時代のソングライターで、ガーシュイン目当てで買ったCDにポーターの曲も入ってることがたまにあって多少馴染みのある人だったから、なんて曲なんだろう?と調べてみたんです。そしたら、どうもその曲はポーターではなくてノエル・カワードの曲らしいとわかりまして。
"Cocktails and laughter, but what comes after? Nobody knows." (Poor little rich girl)
寡聞にもカワードのことはよく知らなかったのですが、カワードとポーターには共通項があるようで、二人を同時に取り上げて語る人も多いようでした。同時代人で、同じような世界に生きていた人というだけではない共通点があるのかな。ただカワードはイギリスの人らしく、今まで馴染みがなかったのはそのせいもあるのかなと思いました。
カワードも多才な人だったようで、曲作りもすれば歌も歌うし、芝居を書いたり俳優としても活動していたみたいです。アール・デコ展で買ったCDにも彼の歌が入ってました。
もうひとつおまけで前回名前を出したガートルード・ローレンスについて。説明できるほど詳しくはないんですが、ガーシュインと同時代に活躍した女優さんです。ガーシュインの携わったミュージカルにも出演していたので、ガーシュイン関連のCDにもときどき顔を出してて、演技は見たことないけど歌声には馴染みがあります。そんなガートルード・ローレンスと親しかったというカワード、彼女の伝記映画にも出てくるそうです。
ジャズ・エイジといえば、ガーシュインにはまるよりも前に好きだった作家もその時代の人なんですね。コーネル・ウールリッチ、別名ウィリアム・アイリッシュ(1903-68)。サスペンス小説の世界で成功した人ですが、駆け出しの頃は都会的な小説を書いていたとか。目指せスコット・フィッツジェラルドみたいな。ジャズ・エイジといえばフィッツジェラルド(代表作は「華麗なるギャツビー」)という記述を見て彼のことを思い出しました。ウールリッチが成功したのはジャズ・エイジよりはもう少し後になると思いますが、都会の孤独を書かせたら右に出るものはいない人でした(大げさ?)。今日初めて知ったんですが、ウールリッチの伝記が出てたんですね。10年以上前にアメリカで出版されて、最近ようやく翻訳されたようです。これも読みたいなあ。
ガーシュインが1898年生まれ、ウールリッチが1903年なので、ほぼ同世代ですね。ウールリッチもガーシュインのミュージカルとか映画を見たりしてたのかなあ。
まさかアール・デコ展へ行ったことがこんなに色んな方面に波及するとは思わなかった。実はまだ波及は続いてるんですが、それはまたいずれ。

最後に、レヴァントが作曲して今でも歌い継がれている曲、"Blame It On My Youth"を適当に訳してみました。作詞はエドワード・ヘイマンです。

君は僕の憧れだった。
でも今は飽き飽きしている。
僕はおもちゃみたいだったね。
かつて君を楽しませた玩具、そして君に打ち捨てられて壊れた玩具。

一度キスしたくらいで愛が芽生えたなんて思うのは、若さのせいさ。
君のためだけに生きていけたらなんて思うのも、若さのせいさ。
幼い子供のようにすべてを信じていた。
君は何よりも大きな存在だった、僕の全てだった。

日がな一日君のことを考えていたのも、若さのせいさ。
寝食や祈りさえも忘れてしまったのも、若さのせいさ。
すべてを悟ったとき少し泣いてしまったとしても、
僕の心の弱さのせいにしないで、全部若さのせいなのさ。

Words & Music by Edward Heyman & Oscar Levant

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