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2005'11.10 (Thu)

イメージの管理?

ヤフー登録サイトを見てたらなんだかアレなサイトを見つけてしまった。

ミュシャのライセンス管理会社ってのがあるのは前から知ってたけど(存在だけは知っていたが具体的には知らなかった)、改めて見るとやっぱりアレな気分に。
ブランド展開ってさあ、あの怪しいフィギュアとか、趣味の悪い金箔細工とか、妙な表面処理をした複製画とか、そういうのが目指すイメージなんですか?と問いたい。超高級グッズを作ることがイメージ向上になるの?おだてて持ち上げて半ば強引にローン組ませてもイメージ向上?「大衆のための芸術を作りたい」という言葉をアピールするなら本当に「大衆」向けで良質なものを作ってくださいよ。
私はその言葉よりも、息子のジリ(イージー)が言っていた「父の芸術は民謡みたいなもの」という表現の方が好きです。誰が描いたのかは知らなくても誰もがどこかで目にしている、そんな普遍的な存在。私がミュシャもどきを見つけては喜んでるのもそんな考えが頭にあるからかな。ミュシャの創り出したスタイルはもうミュシャだけのものではないのです。テンプレートのようなものとして皆が利用することができる。そして見た人は、その向こうにミュシャの存在を感じ取る。はっきりとミュシャの名前が浮かばなくても、漠然と、ある様式で描かれた絵として認識する。そうなってもミュシャは決して憤りを感じたりはしないと思うんだけどな。実際、自分が描かなくても済むように、他の人が同様のスタイルで描くための教科書として「装飾資料集」とか「装飾人物集」を出版したわけだし。
ここからは私の勝手な想像ですが、ミュシャは自分の名前が残ることにあまり執着はないんじゃないのかしら。もちろん後半生のスラヴ民族のための活動は残したいと思っているでしょうが、ほんの10年余りのパリでの絶頂期の名声なんて屁でもないと思っていそう。どちらかというと装飾画家としての自分のイメージを嫌っていたんじゃないかと。元々アカデミック志向の人でしたし。だからパリを去ってアメリカへ行ったときも、最初のうちはポスターや装飾系の仕事は受けずに肖像画家など別の方法で活動しようとしてたくらいですし。結局それは受け入れられずに仕方なくポスターの仕事もしたそうですが。あ、でも、だからといってやっつけ仕事をしていたわけではないと思いますよ。
後世の人間である私たちがそれを残そうとする行為は別に悪いことではないと思うけれど、過剰に管理しすぎるのもどうなのかなあと思う。しかも管理したがってる人の持ってるイメージってのが微妙なのもアレな気分になる原因なわけで。単に私の趣味に合わないだけだと言われればおしまいですが、どうなんでしょうね、オリジナルに色を付けて「新たなイメージを創造」とか言ってるのは。

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