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2011'03.27 (Sun)

生誕150年記念アルフォンス・ミュシャ展@堺市博物館

堺市博物館で3/21まで開催していたミュシャ展に行ってきました。
午後2時からの講演会に向かうべく堺市文化館を出たのが1時半過ぎ(前回のあらすじ)。最寄の堺市駅に着いたらすぐに電車が来て、百舌鳥までは5分足らずだった。そこから博物館まで早足で5分くらいで着いたかな?チケットを買って講演会の整理券を貰って着席して、まもなく講演開始、ということで、ぎりぎりセーフ。
講演会についてはあとで書くとして、まずは展示の感想から。
講演会が2時間くらいと思ったより長かったので展示を見るのは4時くらいからになってしまった。閉館は5時半(5:15だっけ?どっちか)なのでどうかなと思ったけど、以前三鷹でも見てるし、もともと堺にあるものは過去に何度も見てるので、1時間もあれば十分かなーと思いつつ、ちょっと急ぎめに見た。チケットもぎってもらうときにミュシャ館のチケットを見せるともらえるポストカードをきっちりゲット。
会場に入ってすぐのところにウミロフミラーがどーん。この絵は中心が鏡になっているところに意味がある。自分自身が絵の一部になれるんだよね。もともとの持ち主(ウミロフさん)は自宅の居間(だっけ?)に飾ってたらしいんだけど、部屋の少し高いところに部屋を見下ろすような形で設置していたらしい。鏡を取り囲む人々は下から見上げるような形で描かれているのも天井画に近いイメージからであって、鏡に映る自分たち=下界、という相関があるらしい。
念願のパッション(受難)をようやく生で拝めた。トケイソウ(パッションフラワー)だー。これ、数年前のモラヴィアギャラリー他から来てたミュシャ展(関西では京都で開催)のときに図録に載ってたのに京都では展示されてなくて、実物を拝み損ねたものだったので、今回見られて満足。
セントルイス博覧会も実物は初めてかも。正方形に近い形。頭の中ではMeet Me in St. Louisが流れていた(Wikipedia)。
ナチュール(ブロンズ像)はミュシャ館で何度も見てるけど、いつ見ても綺麗だわ。耳のところにイヤリングを下げる丸カンみたいなのがついてないか確認したいとずっと思ってたんだけど、じっくり見てみたら、それらしいものが見えた。なんでそんなものに拘るかって、同じ原型から作られたらしいナチュールは世界にあと2つか3つあるんだけど、イヤリングぶら下げてるやつがあるから、堺のにもあるんじゃないかと気になってたから。これですっきりした。
真福八端の最後のページが可愛かった。これは初めて見たかも?
チェコの心は額縁含めて可愛いよなー。図録に額縁まで載ってなくて残念。
会場が広くて、三鷹とはだいぶ雰囲気が違った。同じ絵を見てるはずなのに印象がだいぶ違うなと。チェコ時代の絵は三鷹で見たときの方がインパクト強かったなあ。
図録は前と微妙に表紙が違うんだよね。理由は推測だけど商標がらみで揉めたんじゃないかと。中身は変わってないはずなので買ってません。グッズ売り場は事前情報でかなり手狭と聞いていたけど、本当に狭かった。物が見えんー!まあ博物館ではこういうことには慣れてないのかもねー。後ろの方からちらっと見た感じ、特に新しいものもなさそうだったので、さっさと通り過ぎた。
というわけで、お次は講演会の話。
講師は大阪市立大学の人。サラ・ベルナール研究をしていて、ミュシャよりロートレックがお好き(本人談・笑)らしい。
まずは講演の前に、東北・関東の大震災へのお見舞いの言葉。こんなときだから講演会もどうしようかという話があったけど、こんなときだからこそやるべきだということになったとか。次の巡回予定地だったいわき市に思いを馳せつつ講演開始。
こないだ私が海の見える杜美術館で見てきたレグロンのポスターのこと、この人は最近まで知らなかったんだって。研究者でもそんなもんなのか…。
私は前にも書いたと思うけど、2~3年前にどこかの美術館のライブラリーで昔のサントリーグランヴィルコレクション展の図録にこのレグロンの絵が載っているのを目にしたことがあった。そのときは「レグロン」という認識がなくて、なんだか見たことないラベルみたいな絵があるな、と思っただけだった。
広島で実物を見た後、あの芝居について調べてみたんだけど、レグロンはナポレオン2世の物語らしい(サラがあの扮装をしている写真は有名だから知ってたけど、内容までは知らなかった)。そして実在のナポレオン2世の肖像画とミュシャのポスターの肖像部分がそっくりなことがわかった(このことは講演会でも触れてました)。あのとき、私はこの芝居はサラベルナール座の公演だけど実際に舞台に立ったのはサラじゃないのかも?と思ったけど、講演の中でサラベルナール座はサラが座長となってお金を稼ぐために世界を巡業していたというようなことを言ってたので、サラが出演しないってことはあり得なかったのかなあ、だったらやっぱりあれは「サラの舞台のためのポスター」という位置づけでいいんだろうかと思ったり。
よく知られているミュシャが制作したサラのポスター群と比較してあまり力が入ってないっぽい感じがするのは地方公演だからなのかなと思ったり。他にもロレンザッチオの縮小版(ポスターの巨匠シリーズじゃないやつ)とか椿姫のアメリカ公演用のポスターとか、デザインの使いまわしで細部への気配りが感じられないものが幾つかあるし、2人の関係の末期はそんなもんだったのかもなーと思ったり(ロマンがない)。
とか思いつつ、別件の確認のためにレゾネ(レナート&ヴェイユ)を見てたら、このポスターが載ってた!今まで気づいてなかったよ…どないやねん、自分。いや、だって巻末のおまけみたいなところに載ってたし、これを手に入れた当時はマイナーな作品まで目が行ってなかったのよ!という苦しい言い訳はさておき、この本の解説によると、ミュシャの息子でミュシャ研究の大家でもあったジリ・ミュシャはこれをミュシャの作品と認めていないらしい。サラのレグロンに関するミュシャのスケッチが幾つか残っているようで、それらはこのポスターとは似ても似つかないらしい。このポスターが作られた頃はミュシャは別の仕事に忙しくて(1900年のパリ万博)満足な時間を取れなかったであろうこと、印刷会社(シャンプノワ)は締め切りに間に合わなかったから適当にありものでポスターをでっち上げたのではないかと。
講師の方もポスターとしての出来は他に比べるとイマイチに感じるということは言ってました。でもサラのためにミュシャが作ったポスターであることは疑っていない様子。当時ミュシャはパリ万博で忙しかったということも把握してらっしゃるようだったけど、ミュシャの関与具合については今となっては知る術もないから、とりあえずミュシャの作品だろうという風に考えてるってことなのかな。
(追記:ミュシャのレグロンはこんな感じ。ジリが指してるのがこれかどうかは不明ですが。→http://blog-imgs-47.fc2.com/g/a/l/galleryk21/img746_convert_20111027120955.jpg
サラとミュシャの関係といえば、たぶんあんまり知られてない作品だと思うけど、スケッチ的な作品(完成品なのかどうかもよくわからない)で、サラと息子をモデルにした母子像があるんだよね。ポスター風なデザインでモノクロの線画だった。あれ、どの本に載ってたっけなー。(これを調べるためにレゾネを見ていた。うちにはないんだっけ?誰かに見せてもらったんだっけなー。The Complete Graphic Worksの巻末に載ってるやつがそうだったっけ?自信がない)
(追記:手持ちの本からその絵を見つけた。こんなんです。→http://twitpic.com/52q03u http://twitpic.com/52q0nl http://twitpic.com/52q1t5
講師の人が出してる本、興味があるんだけど販売経路が限られてるみたいで躊躇している。アマゾンは取り扱いなし、直販はFAXでとかめんどくさいし、他のネット書店の「取り寄せ」は本当に取り寄せてくれるのだろうか。(追記:楽天ブックスで注文したら無事入手できました。)
4901409670サラ・ベルナール メディアと虚構のミューズ
白田 由樹
大阪公立大学共同出版会 2009-12-17

by G-Tools

レグロン話はそんな感じで、もうひとつなるほどと思ったのは、クリスマス神話の真実。ジスモンダは偶然の産物的な逸話が流布してるけど、実際はクリスマスよりも前にミュシャとサラは面識があったのではという話。
そのことを説明するのにまず、グラッセのジャンヌダルクのポスターについてのお話が。グラッセが作ったポスターをサラが気に入らず修正させたという話はサラベルナール好きなら知ってる人も多いと思うけど、実際のところ、修正前の方がポスターとしての出来はいいという話。サラ自身がエレガントに見られたいがために修正した結果、バランスが悪くなってしまったと。この視点は今まで持ってなかったので、なるほどと思った。そして、グラッセの例があったのでジスモンダのポスターを作らせる際に、より自分の欲するイメージで描いてくれる画家を選ぶためにコンペを行ったのでは?という説。
ここで、ミュシャがクリスマスよりも前にジスモンダを観劇していて、舞台スケッチも残しているという話が出てきます。これは特に最近の発見でもなくて、何十年も前にそういったスケッチの存在は知られてました(正確な時期は知らないけど少なくとも1980年代には知られてた)。じゃあ何が(私にとって)新たな発見だったかというと、舞台スケッチとポスターのラフな下絵(どちらも彩色されている)の色合いが似ているということ。そして、それが完成したポスターの色合いと異なるということ。ちなみにその舞台スケッチが堺市文化館のミュシャ館に展示されてました。さっき見てきたとこ。下絵は完成品のリトグラフよりも色が濃くて原色に近い。これが実際の舞台上の色彩だったんでしょう。
サラがミュシャを気に入ったタイミングがどこなのか講演からはわからなかったんだけど、ミュシャはサラの欲しているイメージをグラッセの件から知ったのかサラ自身の希望を聞いてかはわからないけど、本来の舞台の色合いよりエレガントな、サラが期待しているようなものに変えることで、サラの信頼を勝ち取ったのかな、という。色合いだけじゃなくて、サラの描き方、画面全体の構成とかも含めて。
では、ミュシャ自身が手記(日記?)で、クリスマスの日に突然…ということを書いているのは何故なのか、それは、ミュシャに運命論者的なところがあって、絵を描くことは神から授けられた自分の道であるという根拠のために、そのように書いたのではないかと。
ミュシャとサラの関わりについては、サラが亡くなった後にコメントを残していて、ミュシャはサラのことを芸術家(表現者)として尊敬していたらしいことが窺える。サラと専属契約をしていた間は共同作業をしている意識だったんじゃないだろうか。確実な証拠は残っていないけれど舞台デザインとか衣装のデザインとかしていたらしいので、今残っているポスターだけでない密接な仕事上のパートナーになっていたのかなと。
なんだかまとまってないけど、だいたいそんな感じ。
あとは、ミュシャに日本の影響はあるのか?という点は、メディアを例にとって、日本からの影響というか、中国とかいろいろ混じってる(当時の一般的な異国趣味のイメージ)という話。ジャポニズムってわかりやすく直接日本的なモチーフを描く人が多いけど、ミュシャの場合はそういう直接的な影響よりは、もっと大きな概念で自分のスタイルに取り入れてたんじゃないかなーと。
特に自分にとって印象に残ったところだけ書き残そうと思ったらえらい分量になってしまった…。
ミュシャやサラ・ベルナールについては私自身が既に色んな本を読んでいるので知っていることも多かったけど、思わぬ発見とか、色々考えるきっかけにもなって、講演会を聞きに行ってよかったな。

さて、この展覧会、次はいわき市立美術館に巡回予定でした。私が行った時点では「延期になるかも」という話でしたが、現状では開催は難しそうですね…。
少しでも早く通常の生活に戻れますように…
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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