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2012'11.19 (Mon)

泉茂 挑戦する画家

堺市文化館でだいぶ前に開催していた泉茂展に行ってきた(10月下旬)。今更だけど記録に残しておきたいので感想を書く。
泉茂のことは名前と作品を少しだけ知っている程度。もう何年も前に、音楽とか天体とかそんな系統の展覧会を続けて見たときに、いいなと思った絵があって、そのときに名前を覚えた。
その後もあちこちで版画系の展示はいろいろ見てるのでその中にあったりもしたんだろうな、くらいの感覚で目にはしていたと思う。
そして先日、和歌山近美へ行ったときに貰ってきた美術館ニュースみたいな冊子に名前が載っているのを見た。それは吉原英雄についての文章だったんだけど、泉茂が試行錯誤で版画を制作していたという話があって、その頃の画家たちの繋がりとか面白いよなあと思いつつ、泉茂をまとめて見たいなあとつぶやいた。その直後、堺で泉茂展が開催されることを知って、行くしかない!となったわけだ。
展示は泉茂を中心に、周辺作家の作品もちょろっと。堺市の所蔵品がほとんどだけど、一部、和歌山近美のものや個人蔵も出ていた。
まず一番の感想は、私が知ってる泉茂は初期のほんの一部だったんだな、ということ。10年単位で作風をがらっと変えている。好みはやっぱり1950年代のエッチングやリトグラフの作品だけど。特に楽器ものは好きだなあ。ご本人もこれが売れることは自覚してたみたいで、次のステップへ進むための資金稼ぎに制作したりも。他のモチーフとしては、鳥。マックス・エルンストの影響もあるらしいけど、小さい頃、鶏に襲われたか何かでトラウマがあったらしい。
版画を始める前、画家になろうと決意した頃に、誰かに勧められて春陽会に作品を出すんだけど、最初は入選して、次は落選して、納得いかずに審査員(誰だったか忘れたけどそこそこ有名な画家)に理由を聞くもちゃんとした答えを貰えずに、失望して春陽会からは離れて、独自の会、デモクラート美術家協会を始めたとか。この辺で瑛九が出てくる。作品の批評をする文章(手紙か?)が展示の横に貼ってあったんだけど、こういうのを見ると、この間の田中恭吉たちの同人活動を思い出すなあ。中央画壇的なところとは一線を画して活動しようとするところが。
そのときにだったか、後になってだったか、まさにその春陽会のメンバーであった岡鹿之助が、君はそんな会にいるよりも自由にやったほうがいい、みたいなこと(うろ覚えの記憶で書いているので正確な表現ではない)を言ったとかで、岡鹿之助、素敵!とか思ってしまった。あの人の絵も少ししか見たことないけど、いつかまとめて見られるといいな。
瑛九も好きなんだけど、なかなかまとめて見る機会がなくて…。ちょっと前に関東の方で回顧展やってたんだよねえ。行けばよかったなあ。
でも、あるとき、泉茂がどこぞの大きな賞を貰ったことで、デモクラート美術協会は変な権威がつく前に…と解散することに。
その頃の仲間たちの作品が展示されていて、その中に池田満寿夫の「月に吠える」というタイトルの版画があった。これがちょっと田中恭吉を髣髴とさせるような絵で、実際に影響関係があるのかどうか知りたいと思った。
池田満寿夫自体は田中恭吉(というか月映)を知っていたらしいことは小耳に挟んだんだけど、時期的にどうなのかな?と。
話を泉茂に戻すと、ある程度世間の評価も定まってきた頃に、このままではいけない!と考えて1960年ごろに渡米するんだとか。1950年代の作風は叙情的とでもいうのか、私はそういうのが好きなんだけど、ご本人は形態(だっけな?)が弱いとかそんな風に自己評価していて、そこを追及するために環境を変えようとしたらしい。
情緒とか叙情性から距離を置こうとする姿勢はピサロを思い出す。向かった先は全然違うんだけど、画家というものは似たようなことを考えるものなのかしら。(でも叙情と抽象が密接に結びついていた恩地孝四郎みたいな人もいるし、その辺は人それぞれなのか…)
で、アメリカで何年か過ごした後、フランスに渡って、そこで新たな作風にたどり着くわけです。
この辺の作品は今まで見たことがなかったので新鮮。雰囲気はちょっと違うけど、吉原治朗の円を描いた絵にちょっと似てるかなあ?福田平八郎の漣もちょっと近いものがあるかも。説明が難しいんだけど、偶然出来た図形をトリミングしてみて、これだと思う構図が見つかったらそれをキャンバス上に再現する、みたいな。フランスで個展を開いたりもして、そこそこ成功したんだろうか。
1970年代に帰国して、また作風を変える。今度は幾何学的な図形を組み合わせて画面を構成する、みたいな。ポップアートみたいな感じになったり。
雲形定規はその後だっけ?展示を見てから時間が経ちすぎて記憶が…。
その雲形定規を使った絵で、犬の絵を依頼されて描き始めたはずが、描いてるうちに猫みたいになってしまったというエピソードが面白かった。
影響を受けた画家に、マックス・エルンストの名前をさっき挙げたけど、レジェとかデュフィとかマティスとかピカソとかダリとかミロの名前も出てきてたな。評価していた人ばかりでもなくて、この人はイマイチとか批評してた人も入ってるけど。たぶんデュフィやピカソやダリはイマイチなほうだった気がする。
展示の中にランプがあって、その横の解説に、アーツアンドクラフツ的な言葉があってちょっと面白いなと思った。泉茂のインタビューを書き起こした小冊子が展示室内に置いてあって、手に取って読んでもいいとなっていたので読んでたらその辺のことも書いてあって、なるほどねーと。
生活の中にアートが入り込むためには日常生活をもっと美的側面で豊かなものにしなくては、みたいな話。インテリアに拘る人が日本には少なすぎるとかなんとか。どこの家庭もみんな同じような内装で、海外では社会的な立場に応じて内装も変わっていくし、家主の拘りでカーテンだの壁紙だの家具だのも選ぶし、そこに絵も存在する価値を持っている、みたいな。今の日本では各家庭に絵が入り込むことは難しい、とか。(うろ覚えで書いてるので発言の意図を正しく解釈できてるかは怪しい。)そんな話を読んでたら今の自分の部屋を反省…。普段自分が過ごす空間をもう少し意図的に作り上げることも大事なのかもねえ。
あと、晩年の作品は今ならCGでできるんちゃうか?みたいなものもあったりするんだけど、1990年代なのでコンピューターもだんだん一般に広がりつつある時代でもあって(家庭用PCはまだまだマニアックな時代だけど)、ご本人もコンピューターでやればいいと言われるんじゃないかみたいなことは話していて、でもやっぱり手描きなのかなあ、みたいな話になってた気がする。はっきりとした結論めいたものが書いてあったかどうかは定かではない。
海外生活の後、日本に戻ってきてからは美術系大学で講師をしていたそうで、学生に対する苦言的なものもちょろっとあったっけな。自分でキャンバスを張る作業もしたことがない若者が多い、出来合いのキャンバスに描くだけじゃ…みたいなこととか。精神論ってわけじゃなくて、そこに至るプロセスから学ぶものもあるということが言いたいんだと思うけど。
そんなインタビューを読むのが面白くて長々と立ち読みしてたら、会場の人に、よかったら座って読んでくださいね、とソファを勧められてしまった(笑)
てな感じでなかなか楽しい展覧会でした。デモクラート美術協会のことももっと知りたいなーと、また関心ごとが増えてしまった。
せっかく堺市文化館まで来たんだし、ということで、ミュシャ館と晶子文芸館も覗いてきた。前に来てからあまり日が経ってないのでミュシャ館の展示内容は同じだったんだけどね。目の保養。
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2013/11/05(火) 15:19:31 |
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