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2013'03.19 (Tue)

特別展「田中一光」@奈良県立美術館

3/20まで奈良でやってる田中一光展に行ってきた。
田中一光は、グラフィックデザインに興味がある人なら知らなきゃもぐり!なくらい有名な人。名前は知らなくても見たことあるはず。とはいえ、名前や代表作は知ってても仕事の詳細まで知っている人は少ないかも。かくいう私は知らなかった。アールヌーヴォー好きで、そこからの派生で近代のグラフィックデザイン系の展覧会はよく見てるので、田中一光の作品もちらほらは見たことある程度。
彼の出身地である奈良で大規模な回顧展が開かれると聞いて、奈良の美術館にも一度行ってみたかったので、足を運んでみた。JRまたは近鉄奈良駅から徒歩なので、案外近かった。
展覧会はポスターがメイン。最初に産経観世能のポスターがずらり。そこから時系列というわけでもないのか、色んなポスターが展示されていたり、ポスター以外のグラフィックアート作品も並んでいたり。最後に新発見の資料ということで、子供の頃の習字とか、洋画を習っていた頃の素描とか、油彩画とか、ポスターの版下とか、制作の裏側、創造の原点みたいなものが展示されていた。
産経観世能を見ていて思ったのが、これが昭和30年代のポスターとは思えん、ってこと。これは世代によって感じ方が違うのかもしれないけど、むしろ80年代とか時代が下るほど「時代を感じる」部分が増えてくる。初期の作品でも時代を感じるものはあったりするので、作風によるのかも?
文字に対する拘りも面白かったな。活字を拡大したりして、にじみとかかすれとか、微妙なニュアンスを出すために試行錯誤していたりとか。自分でフォントも作っちゃうんだよね。
ところどころにそういった解説はあるけど、全体的にはあまり細かい説明がなくて、キャプションにはポスターのタイトルだけ、海外のポスターの場合でもそのまんまタイトルだけしか書いてなかったり、不親切といえば不親切。でもその分、純粋にグラフィックだけを鑑賞できるとも言える。なので、量の割にはそれほど時間をかけずに見れた。
グラフィックアートは、クライアントからの依頼とかではなく、自発的に制作していた作品らしい。抽象といえば抽象なのかな。エディション番号がついてたのは頒布してたってことなんだろうか。どれも20とか30とかごく少部数だった。個展を定期的に開いていたそうなので、そのときに頒布してたのか。
グラフィックアートで描かれたモチーフがポスターに現れることもよくあった。どっちが先かよくわからない部分もあるけど。
途中に映像コーナーがあって、田中一光のインタビューとかテレビ出演映像とかが流れていた。制作風景なんかもあって、こんな風に作ってたのかーというのがわかって面白かった。
最後の新発見資料のコーナーで、田中一光の略歴が紹介されていた。吉原治良及び具体との関連は知らなかった!と思ったけど、実際には目に入ってても素通りしてたかも知れない。
田中一光は1930年に奈良で生まれて、家は裕福だったようで、小さい頃から観劇に親しむとか、戦後すぐの時代に京都の美術学校に進んでいたり、割と恵まれてたのねーという印象。就職後はなかなか希望の仕事ができなくて、世情不安から会社を首になったり、苦労はしているみたいだけど。絶望していたとき、吉原治良の緞帳を見て感動したとか。
京都の美術学校では工芸方面を学んでいて、絵画の修行はしていなかったようで、就職後にあらためて洋画研究所に通って勉強していたという辺りは興味深かった。グラフィックデザインっていうと絵画とは別!みたいなことを考える人がいるようだけど、基礎は大事だよー。そっちの腕が一流である必要はないかもしれないけど、何にもしてないのと基礎を勉強してるのとでは全然違う。
鐘淵紡績の意匠部でテキスタイルデザインをしていた頃のものらしい衣装デザイン画があって面白かった。
産経新聞で本意でない仕事をしているとき、自分のために手作りポスターや看板を作ってた、と解説にあったけど、作ったからには何処かに掲示していたのかな?と疑問に思ったんだけど、その後、あれこれ調べていたら謎が解けた。社内の壁に貼ってたらしい。それを目にした吉原治良からスカウトされたという展開がドラマチック。
ご本人は宣伝の仕事にベクトルが向いていて、画家、芸術家としての活動は個展以外ではそれほど積極的ではなかったように見えて、画壇とか具体とかその時代の前衛芸術活動等に作品を出品するみたいなことはしてなかったみたいだけど、吉原治良との縁で、具体関連の書籍の装丁とか、舞台美術とか、そういう形での関わりはあったらしい。
この人のアート系の作品を見ていて、シルクスクリーンの平面的な作品は、後期の泉茂に近いものを感じた。泉茂は1922年生まれだから、田中一光よりひとまわり弱、年長になる。泉茂は具体とはそれほど深く関わってないはずだけど(1959に渡米して60年代はフランスで過ごしてる)、グラフィックデザイン系の人とは親交があったらしいと見た記憶があるし、田中一光が憧れていたという早川良雄は泉茂と繋がりがあるし(デモクラート美術家協会)、どこか共通するものがあるのかも。泉茂が平面的な作風に移行したのはフランス時代後期だったか帰国後だったかだから、どっちが先ってこともないのかな。同時多発的な何かなのかもしれない。吉原治良の円なんかも絵肌は平面だし(雰囲気は全然違うけど)、具体関連でいうと、元永定正もちょっと近い?
この展覧会では、ポスター、グラフィックアート(広告でないグラフィック作品)、それに加えて新発見資料の素描や油彩画、制作過程の版下、といったものが紹介されていたけど、田中一光の仕事はそれだけじゃない、というもっと大規模な展示が東京で開催されていたようで。それも見てみたかったなー。その辺も詳しい本が置いてあったので買ってみた。
490294376X田中一光とデザインの前後左右
小池一子 21_21 Design Sight I
フォイル 2012-09-25

by G-Tools

これを見るといろんなことをやってた人なんだなーとわかる。知らないことがいっぱい。今回の展示にはあまり出てなかったけど、タイポグラフィーとか本の装丁は特に興味がある分野だし、もっといろいろ見てみたいな。

ついでに奈良国立博物館が近かったので寄ってみた。
ちょうどお水取りの季節だからか、お水取りの展示をしていた。ビデオが面白かった。木造の建物であんな火を扱って大丈夫なんだろうかと心配になるけど、箒で火の粉を払ってる人がちゃんといるのね(笑)。展示は昔の記録だったり、儀式に使われる物品だったり、こういう儀式めいたものってよくわからないけど、途絶えさせないぞ!という執念にも似た努力は凄いなあと思った。継続は力なり、という言葉にはもしかするとそういう意味もあるのかも。
仏像館での展示も面白かった。本来は博物館とかじゃなくてお寺とかにあるべきなんだろうけど、昨今は物騒な世の中で盗難にあったりするから致し方ない面もあるようで。
仏像やら観音やらいろいろあったけど、彩色されているものは当時の色合いを見てみたいなあ。鮮やかだったのかなあ。大仏の頭は青いのだろうか。おでこのぽっちはいつ付けられたものなんだろう?十一面観音はなんで頭の上にあんなに乗っかってるんだろう。十二神将の頭の上に十二支が乗ってるのがかわいすぎて困った。
別館の青銅器コレクションも凄かった。ふるーい中国のものらしいけど、あのぐるぐる模様は凄いなあ。模様の変遷も面白くて、儀式が形骸化するにつれて模様も大雑把になっていったというのが興味深かった。
博物館は奈良公園の中にあるんだけど、公園には鹿がたくさんいた。気をつけないと襲われる。適度に距離を保っておけばむこうから突っ込んでくることはないけど、写真でも撮ろうかと近づくと、餌がもらえるのかと勘違いされる。(これは完全にこっち側が悪いです。)近くの車道には「鹿注意」の交通標識が。ほんとにあるんだなー。
公園の中には柵があって、ときどき鹿がその中に入ってたけど、あれは鹿を囲うためというよりは、人が入ってこない場所で鹿がくつろぐ用って感じに見えた。私が帰る頃は日が暮れるちょっと前くらいで、そろそろ鹿もお休みタイムなのか、博物館の建物の傍のやっぱり柵の向こうに何匹も固まって寝そべってたりしてた。
博物館を見た後、ふと田中一光のことを思い出して、こういう土地で育ったんだよな、ということが実感できてよかったかも。
奈良は修学旅行以来かなあ。奈良にも美術館とか色々あるし、むちゃくちゃ遠いわけでもないし、また来たいものだ。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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